もつがい ふせん
幕末の頃、尾道の西、栗原の済法寺に「拳骨和尚」の名で知られた物外和尚がいました。怪力無双で武芸十八般に秀で、仏学儒学から俳句書画三味線までたしなんだ一面、憂国の志もあつく、お国の多事の際には諸国を廻って国事に奔走しました。
和尚はある日、江戸の骨董屋で見事な碁盤を見つけましたが、折悪しく代金の持ち合わせがなかったので、手付け代わりに碁盤に拳骨を入れました。この碁盤は今も尾道は済法寺にあり、側面に拳骨の後をくっきりと残しています。
右図の(1)は「拳骨和尚」の異名をとる元ともなった碁盤にきざまれた拳の跡。(2)は護身用として携えていた鎖鎌。(3)は「心外無一物」の銘を刻んだ如意棒。(4)は和尚愛用の枕。(いずれも済法寺蔵)

おおみなと わしち
明治の初の頃のことです。尾道の港の仲仕たちは、畳表を上げ下ろしする表仲仕と、海産物を上げ下ろしする浜仲仕とに別れていました。
表仲仕の和七は心やさしく働き者でだれにもまして力持ちでした。
そんな和七の鼻をあかそうと、浜仲仕たちの考えたのが、天神さんの五十五段の石段を、三十貫の鉄棒を二本担いで下りることです。
この挑戦を和七はうけてたちました。そして当日、大勢の見物人に囲まれて和七は、六十貫の鉄棒をいっきに胸まで持ち上げると、石段の中程まで下りていきました。しかしその後、和七は苦しそうになり足も遅くなりました。そして「天神さん、一生一度の力ですぞ。」と天神さんに誓うと、すべての力をふりしぼって、最後の一段を下りきりました。その後表仲仕と浜仲仕のいざこざもなくなりました。
尾道民話伝説研究会 編  尾道の民話・伝説 より

じんまく きゅうごろう
「うけながら 風の押す手を 柳かな」陣幕

陣幕久五郎は、幕末から明治の初めにかけ活躍した十二代横綱です。
生まれは出雲ですが、力士を志し尾道の初汐久五郎の許に弟子入りしました。のちに久五郎の婿養子となり江戸へ下り角力道に精進して十二代横綱となりました。
その強豪ぶりは居並ぶ者もなく、人格も高潔で一度も「待った」をしなかったといわれています。

左は陣幕久五郎を描いた浮世絵、右は手形を押した掛け軸(いずれも光明寺蔵)

・・・・